小さい島に大きな歴史~小島芸予要塞~

愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島【小島】
ここには日清戦争から日露戦争への時代に築かれた芸予要塞がひっそりと眠っている。




しまなみ海道の来島大橋から見える周囲が約3kmの小さな小島は島の宝100景にも選ばれている国立公園です。のんびりと穏やかに見える小島には明治中期に構築された芸予要塞が当時のままひっそりとたたずんでいます。

芸予要塞は明治32年(1889年)日露戦争を想定して構築された海岸要塞。

日露戦争では東郷平八郎や秋山真之(松山出身)らの活躍によりロシア軍が日本に攻め入ることはなく、大正15年に軍縮小のため役目を終えました。

日露戦争では作戦参謀であった秋山真之がバルチック艦隊攻略で考えた丁字戦法はこの海域を支配していた村上水軍の戦法を取り入れたとも言われているが定かではありません。日露戦争時、中国の旅順で苦戦を強いられているのを見かねた大本営は、最難関の要塞二〇三高地を奪取する必要から、ここ小島の大砲(28センチ榴弾砲)を旅順に持ち込み、児島源太郎の厳令で二〇三高地に1発218キロの砲弾を2300発打ち込み、わずか1時間20分で完全に占領したと言われています。